「アルス!こっちだ!」
光の隙間から、ガーダが手を伸ばした。その声が聞こえていたのか、アルスは涙に濡れた顔をガーダに"ちらり"と向けるも、大きく広げた両手に藍色の光球を浮かばせながら祭壇へと走り出す。
「駄目だ!アルス!」
ガーダの叫び声に、アルスの悲鳴が重なった。緩やかにアルスの右腕が宙に舞う。獲物に狙いを定めたかのように、ゆっくりと旋回して来た闇に、アルスは後退る。大きく裂けた口で、今まさに少女を飲み込もうとした刹那、その首襟を黒く染まった手が掴み寄せた。弾かれたように首を反らせると、蠢く闇に額を押し付けながら歯を食いしばる宵が居た。闇は自由になった片手を、すかさず少女の襟を掴んだ宵の腕に鞭のように巻き付けるや、枝を折るかのごとく容易く歪に捻り折る。宵は上がりかけた声を飲み込んで、腕に絡み付く闇へと噛み付いた。今度は闇が悲鳴を上げる番であった。あまりにも凄惨な光景に痛みすら忘れて、アルスは尻餅をついた。
「な、なんで」
押し負けそうになる闇を、宵の闇が押し返す。
「なんでよ」
徐々に積もり積もってゆく闇に左足の骨が折れた音が響く。だが、宵の闇を掴んだ手は離れない。
「なんで、あんたは諦めないのよ!?」
宵は答えない。代わりにアルスへと向かう闇を喰い千切る。
「やめなさいよ!何もかも決まっていることなのよ!無駄なの!」
飛び交う闇に、生き残った兵士や藍色のマント達が応戦するも、次第に食われてゆく。逃げ惑う者たちも、足を食い千切られ、頭を喰われて数を減らしていく。その中で、首を噛みちぎられて倒れた中年のマントを見た瞬間、少女から嗚咽が漏れた。それは、以前、少女の父だと名乗っていた男であった。アルスは頭を掻きむしる。
「私は、生まれた時から決まってた。藍色だってだけで、黒光神を呼び戻す為だけに毎日祈りたくもない祈りを捧げて、勤めたくもない勤めをこなして、邪魔になる足手纏いは容赦なく殺させてきた。全部私の為じゃない!全部見たこともない守ってくれるかも分からない神様の為よ!」
宵は鼻先に蠢く闇に喰らい付く。悍ましい苦悶に、耳が張り裂けそうな叫び。あまりの痛みに闇は体を広げてのたうち回る。アルスに向かう一打を、捻り折れた宵の腕が掴み寄せる。
「やめなさいよ!」
またもやアルス目掛けて降り落ちた闇を、宵の足が絡みとる。
「やめてって言ってるでしょ!」
悲鳴に似た懇願。アルスの頭の中は、もはや"ぐちゃぐちゃ"だった。
「助けてくれなんて頼んでない!これで、これでようやく私のくだらない人生が終わるの!これで、ようやくこんなくだらない民が消えるのよ!それをあんたなんかに壊させない!」
地を蹴ったアルスの左手には藍色の光球が握りしめられていた。アルスは宵が声を出す間もなく、闇の円炎に飛び込んでゆく。それを待っていたかのように、闇の体は一瞬でアルスを飲み込んだ。歓喜に燃え上がる闇へ、すかさず宵の手が減り込む。さらに反対側へと噛み付いたまま、闇の腹を押し広げていく。夜空に木霊する絶叫に構わず、さらに宵は腹の中を引き裂き続ける。一際黒い闇の膜に歯を立てるや、喰い千切った。そこには辛うじて息を吹き返したアルスが居た。その顔を引き摺り出して、片腕で無理矢理闇から体を引き剥がした。
「な、なんでよ」
呆然と動かない少女の体を、渾身の力で放り投げた。その先で手を伸ばしていたガーダが受け取る。闇に染まった口で宵が叫んだ。
「ルド!」
「はいはい」
傍観していたルドイジュベルロンドが、呆れたように頭を掻いた。途端、光柱の中へと吸い込まれるようにアルスも中へ。
「これで貸し二つだからね」
闇の炎の中、宵は僅かに広角を上げて返した。改めて闇と対峙した宵は、燃え盛る黒眼で真っ直ぐと、開いた闇の中央を射る。そこには、漆黒に蠢く心臓のようなものがあった。途端、周囲を飛び回っていた闇が一斉に宵へと向かう。迷っている暇は無かった。宵は最後の力を振り絞り、大きく闇の心臓へと齧り付いたと思うや、勢いよく喰い千切った。今まさに宵を貫こうとしていた闇は動きをとめた。喰い千切った心臓を、一呼吸と共に嚥下する。吐き出したくなる程の悪寒に、宵は一度嗚咽を漏らしたが、まだ脈打つ闇へと再びかぶりついた。嚥下する度に、周りの闇は静かに動きを止めていく。最後の一塊を飲み干した時だ。周りの闇がゆっくりと宵の体へ、宵の纏う闇へと吸い込まれていった。