「で、結果的には君らにとって失敗?」
ルドイジュベルロンドが軽く手を振り払うと、光の柱は地面へと消えていく。血の滴る腕に布を巻かれながら、アルスは呆然としたまま動かない。
「僕にとっては」
ルドイジュベルロンドは、祭壇に力尽きて倒れたままの宵を見た。あれだけの闇を全て取り込んだ異形の人間。四肢を壊されながらも決っして諦めなかった漆黒の化身。結果的に、完璧に黒光神がこの世に舞い戻った事になる。懸念していた事態だ。ただ、ルドイジュベルロンドが知っている黒光神とは決定的に違う事がある。それは、
「ルド」
祭壇に伏したまま、宵が呟いた。
「寝てな、黒光神の力でも、その傷が治るまで半日はかかる」
「頼む」
「嫌だね」
「頼むから」
「殺されてやるつもり?」
「ごめんだね」
「ったく」
ぼやきながらも、ルドは面倒くさげにアルスの側へ行くや掌を翳してやる。その掌から光の粒子が朧げに湧き出てきたかと思うと、ガーダの失った右手が生えてきた。同じくアルスの右腕にも光が集まるが、此方は一向に生えてくる気配はない。それを見て、思わずアルスは笑い声を上げた。
「そうよね、それは光の力だもの、闇に染まり切った私には効かないわよね!」
「アルス」
「うるさい!」
震える小さな肩へ伸ばした手を振り払われて、ガーダは言葉を詰まらせる。アルスの藍眼からは、堰を切ったかのように後から後から涙が零れ落ちる。
「好きで染まったわけじゃない!好きで巫女になったんじゃない!好きでこんな力を持って生まれたんじゃない!なのに、なのになんでよ⁉︎なんであんただけ普通に暮らして、普通に感じて、普通に生きていけるのよ!」
それは溜まりに溜まった理不尽への反抗であった。我を忘れて泣き叫ぶアルスを、ガーダは思わず抱きしめる。
「大丈夫、これからはお前だって普通に生きていけるよ」
その言葉に見開いた藍眼は、暫く穏やかに閉じられたまま収まったかのように見えた。が、血塗れの左手が、徐にガーダの横顔を鷲掴んだ。静寂を悲鳴が引き裂く。藍色の煙を上げて肉の焼ける臭いがたちのぼる。それでもガーダは、アルスを離そうとはしない。ルドイジュベルロンドは冷たくその光景を見やるだけだ。
「ア、アルス………大丈夫だから、もう逃げない、か、ら」
「遅いのよ………もう何もかも遅いの、よ」
ふいに、アルスの手がガーダから離れた。焼け爛れた顔のまま、唖然とするガーダ。同じく呆然と数歩後ずさったアルスは、そのまま膝から崩れ落ちた。その後ろには、何かを投げ放った態勢から再び倒れ込む宵の姿。そして倒れたアルスの背中には、錆びた刀が刺さっていた。
「アルス!」
ガーダは慌てて駆け寄り、小刻みに震える小さな体を抱き上げる。込み上げてきた血泡を吐き出しながら、アルスは覚束無い指先で切り落とされた自分の右腕を差した。それを拾ったのはルドイジュベルロンドであった。ルドイジュベルロンドは、黙したまま、その腕をアルスへと差し出した。アルスは震える指先で、固く握りしめた右掌を開いてゆく。それをガーダは呆然と見つめたまま動かない。一本、一本と開かれてゆく掌の中にあったものは、白い花だった。血に塗れて、ぼろぼろになった小さなアザレア。その花を掴み取った震える指先は、ゆっくりとガーダへ差し出された。アルスは血に咽せながら笑う。
「私も、普通に、生まれ、たかっ………」
言い終わらぬうちに、少女は静かに動かなくなった。夜風が藍色の髪を以て遊ぶ。ガーダは震えながら少女の肩を揺する。
「………アルス?なぁ、アルス?」
動かない。何故。こんな終わりなんて、どうして。ガーダは叫んだ。アルスの亡骸を抱きしめて叫んだ。何故、何故何故何故。
誰の為に生きて、
何のために生きてきたのか。
普通に生きさせてやりたかった。普通の幸せを与えてやりたかった。家族で笑い合える幸せを感じさせてやりたかった。それだけなのに。それだけなのに、何故。
知らず掴んだ刀は、宵へと向いていた。引き摺るように足先は宵へと動いていく。
「………分かってるよ、分かってるけど、こんなの、こんなの!」
真っ直ぐと振り落ちてくる刀に、宵は静かに瞼を閉じた。その顔の真横に刀が突き刺さる。顔に落ちてきた雫に瞼を開けると、刀を握りしめたガーダの赤眼から"ぼろぼろ"と大粒の涙が溢れ出ていた。ガーダは泣き顔を防いで蹲る。絶え間なく漏れる嗚咽に、宵も片腕で両目を塞ぐ。その隙間から流れ出た涙に応える者はいない。ただ、闇の消えた夜空には、冷たい風だけが吹き荒んでいた。